ジャズの歴史#1:1900s-1920s|ジャズの誕生とニューオーリンズ・ジャズ

逆光でのなか演奏するジャズマンたちをバックにHistory of Jazz #1 の文字

ジャズは、誰かが発明した音楽ではない。

今から約120年前、19世紀末から20世紀初頭、ニューオーリンズの街角やダンスホールで自然に生まれた音楽だ。

この時代、アメリカは変革の真っ只中だった。南北戦争後、黒人奴隷制度は廃止されたものの、人種差別は依然として根強く、黒人たちは厳しい環境で働きながらも独自の音楽を育んでいた。一方、フランス、スペイン、カリブ、ヨーロッパからの移民が流入し、ニューオーリンズは多文化が交差する街となっていた。

ここでは音楽が生活の一部であり、ブラスバンドが祝祭や葬式を彩り、労働者はブルースを歌い、ダンスホールではラグタイムのピアノが響いていた。

ジャズの誕生:ニューオーリンズという交差点

ジャズ発祥の地、ニューオリンズの街並み

ニューオーリンズは、まさに音楽のるつぼだった。

ブルースの自由なメロディー、ラグタイムのシンコペーション、ブラスバンドのダイナミズム。それらが混ざり合い、即興演奏を重視する新しいスタイルが生まれていく。楽譜に頼らず、耳で覚え、リズムを感じ、感情のままに演奏する音楽——それがジャズだった。

ニューオーリンズの音楽的背景

ニューオーリンズがジャズ誕生の地となった理由は、単なる偶然ではない。この街には、異なる文化が混ざり合い、音楽が常に人々の生活の中にあった。ここで生まれた音楽は、様々な要素が融合した結果だった。その中でも特に影響が大きかったのが、クレオール音楽、ブルース、ブラスバンド、ラグタイムの四つだ。

クレオール文化とクラシックの影響

クレオールとは、フランスやスペインの血を引く移民とアフリカ系住民の混血を指す。ニューオーリンズにはクレオールの音楽家が多く、彼らはクラシック音楽の技術を持ちながらも、黒人音楽のリズム感や即興性を取り入れていた。ヴァイオリンやクラリネットを操るクレオール奏者たちは、西洋の和声理論をジャズに持ち込んだ。ジャズが単なるリズム音楽ではなく、ハーモニーやメロディーの発展を遂げたのは、このクレオール文化の影響が大きい。

ブルースの感情表現とブルーノート

ニューオーリンズに流れ込んだ黒人労働者たちは、フィールドホラー( field-holler アメリカ南部の奴隷たちが労働中に歌った独特な歌唱スタイル)や、ワークソングを基にしたブルースを生み出した。ブルースの特徴は、シンプルなコード進行と、魂を揺さぶる感情表現にある。特に、音を微妙に揺らすブルーノート(主に3度、5度、7度の音を半音下げる奏法)は、ジャズの表現力を豊かにした。ソロ演奏や即興において、このブルーノートが使われることで、ジャズはより自由で感情的な音楽になった。

ブラスバンドと葬式文化

ニューオーリンズでは、葬式にブラスバンドを呼ぶ文化があった。死者を送る行列「ジャズ・フューネラル」では、最初は厳かにマーチを演奏し、埋葬が終わると一気に明るいアップテンポの曲に変わる。この形式が、ジャズのダイナミズムにつながっていった。

マーチングバンドの影響で、ジャズは二拍子系のリズムを基盤としながら、スウィング感を徐々に取り入れていった。トロンボーンやクラリネットが掛け合いながらメロディーを奏でるスタイルは、後のジャズ・アンサンブルに受け継がれることになる。

ラグタイムとの関係

ピアノ音楽として19世紀末に流行したラグタイムも、ジャズにとって重要な要素だった。スコット・ジョプリン(Scott Joplin)「Maple Leaf Rag」に代表されるように、左手で規則的なベースラインを刻み、右手でシンコペーション(リズムのズレ)を作るのが特徴だった。この独特のリズム感は、ジャズピアノの基盤となっただけでなく、管楽器のフレージングにも影響を与えた。ラグタイムの影響を受けたジャズは、単なる即興演奏ではなく、計算されたリズムの妙も兼ね備えていった。

ニューオーリンズには、すでにジャズの素材となる音楽が揃っていた。クレオールの洗練されたハーモニー、ブルースの哀愁、ブラスバンドのエネルギー、ラグタイムのリズム。これらが混ざり合い、やがてジャズという音楽が形成されていくことになる。

ニューオーリンズ・ジャズの特徴

ニューオーリンズ・ジャズの最大の特徴は、コレクティブ・インプロヴィゼーション(集団即興)にある。複数の楽器が同時に即興で演奏し、絶えず音が絡み合いながら展開する。このスタイルによって、演奏全体に躍動感と予測不能な面白さが生まれた。

ソロの順番を決める現在のジャズと違い、ニューオーリンズでは全員が即興を重ねるのが基本だった。コルネットがメロディをリードし、クラリネットが装飾的なフレーズを入れ、トロンボーンが低音とリズムを補強する。この「三つ巴」の掛け合いが、ニューオーリンズ・ジャズの醍醐味だった。

楽器編成:シンプルだがダイナミック

当時のジャズバンドは、コルネット、クラリネット、トロンボーンを中心に、バンジョー、チューバ、ピアノ、ドラムが加わるスタイルが一般的だった。

  • コルネット:主旋律を担当し、リードの役割を果たす
  • クラリネット:高音域でフレーズを重ね、音楽に軽快さを加える
  • トロンボーン:スライド奏法で低音を強調し、リズムにメリハリをつける
  • リズムセクション:バンジョーがコードを刻み、チューバが低音を支え、ドラムがマーチングバンド風のビートを刻む

この編成によって、シンプルながらも厚みのあるアンサンブルが生まれた。

リズムの特徴:マーチングバンドの影響とスウィングの芽生え

ニューオーリンズ・ジャズのリズムは、二拍子系が基本だった。これはブラスバンド文化の影響によるもので、チューバやバンジョーが「ズン・ズン」と規則的なビートを刻むのが特徴だった。しかし、ラグタイムの影響もあり、ピアノやクラリネットがシンコペーションを駆使してリズムに変化を加え、スウィング感の原型を作っていった。

「Livery Stable Blues」:初めてレコーディングされたジャズ

1917年、オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド(Original Dixieland Jass Band、ODJB)が録音した「Livery Stable Blues」は、史上初のジャズ・レコードとして知られている。

この曲では、ニューオーリンズ・ジャズの特徴がよく表れている。

  • コレクティブ・インプロヴィゼーションが前面に出ている
  • 二拍子のマーチ風リズムに、クラリネットやトロンボーンが複雑なフレーズを絡める
  • 動物の鳴き声を模倣する演奏が含まれ、当時のユーモアも垣間見える

「Livery Stable Blues」は大ヒットし、ジャズが商業的に成功する第一歩となった。ただし、ODJBは白人バンドだったため、黒人ミュージシャンが作り上げたニューオーリンズ・ジャズの本質とは少し異なるスタイルだった。それでも、この録音がジャズの発展を加速させたことは間違いない。

ニューオーリンズ・ジャズは、集団即興、シンプルな楽器編成、マーチングバンドの影響を受けたリズムを特徴としながら、その後のジャズの進化に大きな影響を与えていった。

初期の重要人物とバンド

ニューオーリンズ・ジャズは、個々のミュージシャンたちの革新によって形作られた。その中心にいたのが、バディ・ボールデン(Buddy Bolden)、キング・オリヴァー(King Oliver)、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong)、ジャリー・ロール・モートン(Jelly Roll Morton)の4人だった。彼らはそれぞれ異なるアプローチでジャズの発展に貢献し、その影響は現在にまで続いている。

バディ・ボールデン(Buddy Bolden):ジャズの父

バディ・ボールデンは、「ジャズを生んだ男」とも言われる伝説的な存在だ。彼の演奏を直接録音した音源は残っていないが、当時のミュージシャンたちの証言によれば、彼の音楽は強烈なグルーヴを持ち、聴衆を熱狂させる力があったという。型にはまらない自由な演奏スタイルは、ニューオーリンズの音楽シーンに大きな影響を与えた。

彼のバンドが演奏していた音楽は、当時のラグタイムやブラスバンドの伝統に、ブルースの自由な感覚を融合させたものだった。ニューオーリンズのダンスホールでは絶大な人気を誇り、そのリズムは他のどのバンドとも異なる独自のものだったと言われている。特に、即興的な要素を重視し、演奏中にメロディを次々と変えていく彼のスタイルは、後のジャズの本質的な部分となった。

しかし、彼のキャリアは短かった。アルコール問題や精神的な病に悩まされ、1907年には精神病院に入院し、その後表舞台に戻ることはなかった。それでも、彼の影響はニューオーリンズのミュージシャンたちに受け継がれ、ジャズの原点として語り継がれている。

キング・オリヴァー(King Oliver):ジャズ・コルネットの名手

キング・オリヴァーは、ニューオーリンズ・ジャズをシカゴへと広げた重要な人物だ。彼のバンド、キング・オリヴァーズ・クレオール・ジャズ・バンド(King Oliver’s Creole Jazz Band)は、1920年代初頭にシカゴで活動し、多くのミュージシャンに影響を与えた。

オリヴァーの特徴は、ミュート奏法の発展にある。彼はコルネットにさまざまなミュート(弱音器)を取り付け、音色を変化させる技術を生み出した。これにより、より多彩な音を作り出し、ジャズの表現力を大きく広げた。

彼の最も大きな功績の一つが、若きルイ・アームストロングを育てたことだ。シカゴで活動していたオリヴァーは、ニューオーリンズ出身の才能ある若者、アームストロングを自身のバンドに呼び寄せた。ここでアームストロングは、即興演奏の技術をさらに磨き、後のジャズ革命の準備を整えていく。

ルイ・アームストロング(Louis Armstrong):ジャズ・トランペットの革新

ルイ・アームストロングは、ジャズを単なるダンス音楽から、個人の表現の場へと進化させた人物だ。彼の最大の功績は、ソロ演奏を前面に押し出したことにある。

ニューオーリンズ・ジャズのコレクティブ・インプロヴィゼーションでは、全員が即興で演奏するのが基本だった。しかし、アームストロングは、「ジャズは個人の表現の音楽だ」と考え、一人ひとりのソロを重視するスタイルを確立した。これにより、ジャズは「みんなで演奏する音楽」から「個々のミュージシャンの個性を活かす音楽」へと進化していった。

また、彼のトランペットの技術は圧倒的だった。力強くクリアな音色、驚異的な音域、リズムを遊ぶようなフレージング。これらはすべて後のジャズ・ミュージシャンに影響を与えた。

さらに、アームストロングはジャズ・ボーカルにも革命を起こした。彼のスキャット・シンギング(即興的な音声の演奏)は、ジャズのボーカルスタイルを大きく変え、「ジャズ・シンガー」という新しいジャンルを生み出した。

ジャリー・ロール・モートン(Jelly Roll Morton):ジャズに秩序をもたらした男

ジャリー・ロール・モートンは、ニューオーリンズ・ジャズの即興的な要素に、「作曲」という概念を持ち込んだ人物だ。彼は自らを「ジャズを発明した男」と主張していたが、実際には彼の貢献はジャズをより構造的な音楽へと進化させたことにある。

モートンの音楽は、単なる即興ではなく、しっかりと構成された楽曲が特徴だった。彼の代表作「King Porter Stomp」は、後のスウィング・ジャズに影響を与えた名曲だ。

また、彼は「ジャズにはスペインの影響がある」とも語っており、ラテン音楽の要素を取り入れた曲も多かった。これが後のラテン・ジャズの流れにつながっていく。

彼のもう一つの特徴は、ピアノ演奏の革新にある。ラグタイムの影響を受けつつも、よりリズミックで躍動感のあるスタイルを確立し、ジャズ・ピアノの基礎を築いた。

ジャズを形作った4人の巨人

バディ・ボールデンがジャズの原型を作り、キング・オリヴァーがそのスタイルを広め、ルイ・アームストロングがジャズをソロの音楽へと進化させ、ジャリー・ロール・モートンが作曲の概念を持ち込んだ。

彼らがいなければ、ジャズは今とは違う形になっていたかもしれない。ニューオーリンズの雑多な文化の中で、それぞれの才能がぶつかり合い、新しい音楽が生まれた。それがジャズの本質であり、今もなお続くジャズの魅力だ。

ニューオーリンズ・ジャズの遺産

ニューオーリンズ・ジャズは、その後のジャズの進化に決定的な影響を与えた。1920年代にはシカゴ・ジャズ、1930年代にはスウィング・ジャズへと発展し、さらにはビバップ、クール・ジャズ、フリー・ジャズと多様なスタイルへと広がっていった。しかし、そのルーツはすべてニューオーリンズにある。

ニューオーリンズ・ジャズの特徴だったコレクティブ・インプロヴィゼーションは、スウィング時代以降、個々のソロ演奏に重点が置かれることで変化していった。それでも、ジャズの根幹にある即興演奏の自由、ブルースの感情表現、リズムのグルーヴは、モダン・ジャズの時代になっても変わることはなかった。

現在でも、ニューオーリンズでは伝統的なジャズが受け継がれている。毎年開催される ニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバル は、世界中のジャズファンが集まる一大イベントだ。また、プリザベーション・ホール・ジャズバンド(Preservation Hall Jazz Band)のような保存バンドが、当時の演奏スタイルを守り続けている。この町の文化の中心地であるフレンチ・クォーターのバーやストリートには、今もニューオーリンズ・ジャズの音が響き渡る。

結局のところ、「ジャズとは何か?」という問いに明確な答えはない。ニューオーリンズ・ジャズは、固定された形式の音楽ではなく、多様な文化とスタイルがぶつかり合い、進化し続ける音楽だった。その自由こそが、ジャズの本質であり、100年以上経った今でも変わらぬ魅力だ。

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