ジャズの歴史 #5:1960s-1970s|フリージャズとスピリチュアルジャズの台頭

逆光でのなか演奏するジャズマンたちをバックにHistory of Jazz #5 の文字

1960年代後半、ジャズはさらなる変革を迎えていた。ビバップ、ハードバップ、モードジャズを経て、ミュージシャンたちは即興の限界を押し広げ、表現の自由を追求するようになっていく。その結果、ジャズの形式そのものが解体され、完全にルールから解き放たれた フリージャズ が誕生した。

従来のコード進行やリズムの概念を捨て、純粋な即興演奏が前面に出るこのスタイルは、ジャズの中でも最も革新的で、最も過激なアプローチだった。

一方で、ジャズの持つ精神的な側面を掘り下げる流れも生まれていた。モードジャズの広がりを背景に、ジャズに宗教的・哲学的な要素を融合させた スピリチュアルジャズ が発展していく。音楽は単なるエンターテイメントではなく、祈りや瞑想、魂の探求と結びつくものとなり、ジャズはこれまでにない領域へと踏み込んでいった。

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フリージャズの誕生

1960年代、ジャズは「即興の自由」という原点に立ち返りながらも、さらにその枠を押し広げようとしていた。その最も過激な形として誕生したのが フリージャズ だった。

従来のジャズがコード進行やリズム、ハーモニーといった枠組みに基づいて展開されていたのに対し、フリージャズはそれらを解体し、純粋な即興演奏を追求したスタイルだ。ソロと伴奏の区別が曖昧になり、楽器同士の対話は決められたルールではなく、感覚的なコミュニケーションで成立する。混沌としたエネルギーの渦のような演奏となることが多く、一般的なジャズとは異なり「聴きやすさ」よりも表現の自由が最優先された。

この新たな音楽が生まれた背景には、1960年代の社会変革があった。アメリカでは公民権運動やベトナム戦争などが社会の価値観を揺るがし、ミュージシャンたちは音楽を通じてそのメッセージを発信しようとした。また、1950年代のビバップやモードジャズが即興演奏の可能性を広げたことも影響している。モードジャズがコード進行の制約を緩めたものの、まだ一定のルールに基づいていたのに対し、フリージャズのミュージシャンたちは「ならば、ルールそのものを壊せばいい」と考えたのだった。

こうして誕生したフリージャズは、ジャズをさらなるアートの領域へ押し上げた。一部のリスナーには難解とされたが、その革新性は後の音楽に計り知れない影響を与えていく。

フリージャズの代表的なミュージシャン

フリージャズの誕生は、音楽の「自由」を求めたミュージシャンたちの実験精神によって推進された。それぞれのアーティストが独自のアプローチを生み出し、フリージャズの多様性を形作っていった。その革新を牽引した代表的なミュージシャンを紹介する。

オーネット・コールマン(Ornette Coleman)|フリージャズの革命児

フリージャズの幕を開けたのは、アルトサックス奏者の オーネット・コールマン(Ornette Coleman) だった。彼は1959年に発表したアルバム 「The Shape of Jazz to Come」 で、従来のジャズとは全く異なるアプローチを打ち出した。

このアルバムでは、和音に頼らず、メロディのみで展開する 「ハーモロディック・コンセプト」 という考え方が採用された。コード進行に縛られないため、演奏の自由度が格段に増し、ミュージシャン同士のインタープレイが即興的に生まれるようになった。

コールマンのサウンドは、従来のジャズの洗練されたハーモニーとは異なり、まるで原始的な叫びのようなエネルギーに満ちていた。これにより、ジャズは新たな領域へと踏み込んでゆく。

アルバート・アイラー(Albert Ayler)|スピリチュアルと破壊の融合

フリージャズの中でも、より スピリチュアルな要素と破壊的な即興を融合させたのが、サックス奏者 アルバート・アイラー(Albert Ayler) だった。

彼の代表作 「Spiritual Unity」(1964年)は、まるで祈りのような旋律と、アヴァンギャルドな即興演奏が交錯する異次元の作品だった。アイラーの演奏は、伝統的なジャズのメロディを持ちながらも、それを極端にデフォルメし、感情の爆発として表現するスタイルだった。

彼の音楽は、単なる演奏を超え、一種の儀式的な雰囲気を持っていた。フリージャズとスピリチュアルジャズの橋渡し的な存在とも言え、その後のジャズシーンにも大きな影響を与えた。

セシル・テイラー(Cecil Taylor)|ピアノによるフリージャズの開拓者

フリージャズの世界において、ピアノという楽器の概念を根底から覆したのが セシル・テイラー(Cecil Taylor) だった。彼の演奏は、それまでのジャズピアノとは一線を画し、まるで打楽器のように鍵盤を叩きつるスタイルが特徴だった。

彼の音楽は、伝統的なコード進行やリズムの枠を超え、音の流れがカオスの中で独自の秩序を持つような表現へと昇華された。

代表作である Unit Structures」(1966年) は、その革命的アプローチを象徴するアルバムだ。この作品では、従来のジャズの構造を解体し、音の断片がダイナミックに絡み合いながら、新たな即興の可能性を提示している。ハーモニーの概念すら打ち砕き、ピアノが「メロディを奏でる楽器」という固定観念をも超えたのだ。

セシル・テイラーの音楽は、単なる即興ではなく、音そのものの質感や物理的なエネルギーを重視する、新たなジャズの形だった。


フリージャズは、ジャズの枠組みを完全に破壊し、即興演奏の自由を極限まで押し広げた。しかし、このスタイルはあまりにも過激だったため、一部のリスナーや批評家からは「理解不能」とも言われた。だが、フリージャズが切り開いた道は、その後のジャズに計り知れない影響を与えた。

そして、この流れと並行して、ジャズはもう一つの異なる進化を遂げていた。それが、精神性や哲学的な要素を融合させた スピリチュアルジャズ だ。ジャズは単なる音楽ではなく、魂の探求の手段としても機能し始めていた。次に、そのスピリチュアルジャズの誕生と発展を追っていく。

スピリチュアルジャズの台頭

1960年代後半、ジャズは単なる音楽を超え、精神的な探求の領域へと踏み込んでいった。その結果生まれたのがスピリチュアルジャズ だ。フリージャズの自由な即興と、宗教的・哲学的な要素を融合させたこのスタイルは、祈りや瞑想と結びつき、音楽を通して魂を解放する手段となった。

特徴的なのは、瞑想的なサウンド、エスニックな要素、神秘的な響きだ。インド音楽やアフリカ音楽の影響を受けたメロディ、持続的なリズム、トランス状態に誘う反復的なフレーズが多用される。即興演奏の要素はフリージャズと共通しているが、破壊的なアプローチではなく、精神性や宇宙的な広がりを表現することが目的だった。フリージャズが「ルールを壊す音楽」なら、スピリチュアルジャズは「内面の世界を探求する音楽」だった。

このスタイルが生まれた背景には、1960年代の精神的な価値観の変化がある。この時代、西洋社会では東洋思想やニューエイジムーブメントが広まり、ヨガや瞑想、ヒンドゥー哲学、仏教思想への関心が高まっていた。こうした流れはジャズにも影響を与え、ミュージシャンたちは単なる技術競争ではなく、音楽を通じて宇宙や神とつながることを目的とするようになった。

特に、アフリカ系アメリカ人のミュージシャンたちは、自らのルーツであるアフリカの音楽や宗教的要素をジャズに取り入れた。伝統的なゴスペルやブルースに加え、アフリカのリズムやスピリチュアルな要素が融合し、ジャズは新たな次元へと進化していった。

スピリチュアルジャズの代表的なミュージシャン

聴く者を瞑想やトランス状態へと導くようなサウンドを生み出し、ジャズを通じて宇宙や神、自己の内面と向き合おうとしたミュージシャンたち。ここでは、スピリチュアルジャズを象徴するアーティストを紹介する。

ジョン・コルトレーン(John Coltrane)|スピリチュアルジャズの象徴

スピリチュアルジャズを語る上で、ジョン・コルトレーン(John Coltrane)の存在は欠かせない。彼は元々モードジャズの先駆者として知られていたが、次第に音楽を精神的な表現の手段として捉えるようになった。

彼の代表作 「A Love Supreme」(1965年)は、その象徴的な作品だ。このアルバムは、神への感謝を捧げる「祈り」のような構成になっており、各楽章が宗教的なメッセージを持っている。彼のテナーサックスの演奏は、まるで魂の叫びのように響き、聴く者を深い瞑想状態へと導く。

また、コルトレーンはインド音楽やアフリカ音楽の影響を受け、より自由な即興を追求するようになった。彼の後期の作品では、伝統的なジャズの形式を完全に捨て、純粋な「音の探求」とも言える即興演奏へと向かっていった。

ファラオ・サンダース(Pharoah Sanders)|コルトレーンの意志を継ぐ者

コルトレーンのスピリチュアルなアプローチをさらに発展させたのが、サックス奏者の ファラオ・サンダース(Pharoah Sanders) だった。彼はコルトレーンのバンドで活動した後、独自のスタイルを築き上げた。

彼の代表作 「Karma」(1969年)は、スピリチュアルジャズを象徴する作品の一つとして知られている。このアルバムには、トランス的な演奏、宗教的なテーマ、アフリカ音楽のリズム、神秘的なボーカルが組み合わさっており、単なるジャズの枠を超えた作品となっている。

サンダースのサックスは、時には激しく叫ぶように、時には穏やかに祈るように響き、まるで精神の世界を旅しているかのような感覚を生み出した。彼の音楽は、「スピリチュアルジャズ」という言葉を体現するものだった。

アリス・コルトレーン(Alice Coltrane)|神秘的な響きの探求

ジョン・コルトレーンの妻であり、ピアニスト・ハーピストでもあった アリス・コルトレーン(Alice Coltrane) も、スピリチュアルジャズの発展に大きな影響を与えた。

彼女の音楽は、ジャズの枠を超え、インド音楽やクラシック音楽の要素を取り入れた、より瞑想的なサウンド を特徴としていた。特に、彼女のハープの演奏はジャズでは極めて珍しく、まるで天上の音楽のような神秘的な響きを持っていた。

代表作 Journey in Satchidananda」(1970年)は、インド哲学とジャズを融合させたユニークな作品であり、シンセサイザーやハープを駆使した独特のサウンドが印象的だった。彼女の音楽は、もはやジャズというジャンルを超え、一種の 瞑想音楽 としての役割を果たしていた。


スピリチュアルジャズは、単なる音楽ではなく、精神的な探求の手段 だった。ミュージシャンたちは、音を通じて神や宇宙とのつながりを模索し、聴く者をもその旅へと誘った。このスタイルは、1970年代に入るとさらに広がり、ワールドミュージックやアンビエントとも結びついていくことになる。

フリージャズとスピリチュアルジャズ:似て非なる二つのスタイル

1960年代後半から1970年代にかけて、フリージャズとスピリチュアルジャズは並行して発展しながらも異なるアプローチを取った。

フリージャズは、形式を解体し、コードやリズムの枠を取り払うことで、純粋な即興を追求した。カオティックで挑戦的な音楽が生まれ、破壊的なエネルギーを持っていた。一方、スピリチュアルジャズは、アフリカ音楽やインド音楽の要素を取り入れ、瞑想的で宇宙的な響きを生み出した。

しかし、両スタイルには共通点もあった。どちらも既存のジャズの枠を超え、即興演奏を中心に据えていた。従来のジャズがコード進行やメロディの範囲で即興を行っていたのに対し、フリージャズとスピリチュアルジャズは、その制約すら取り払った。ミュージシャンたちは楽譜に縛られず、その瞬間のインスピレーションのみを頼りに演奏した。

また、両者の間には交流もあり、ジョン・コルトレーン はフリージャズとスピリチュアルジャズの両方に影響を与えた。ファラオ・サンダース や アルバート・アイラー のように、スピリチュアルな要素を持ちながらフリージャズの激しさも兼ね備えたミュージシャンも存在した。

つまり、二つのスタイルは異なる方向を向きながらも、根底では共通するものを持ち、交差しながら発展していった。

1970年代への流れ

1970年代に入ると、フリージャズとスピリチュアルジャズはそれぞれ異なる進化を遂げた。

フリージャズは、一部の前衛的なミュージシャンによってさらに深化し、セシル・テイラーアート・アンサンブル・オブ・シカゴ のようなアーティストが、即興演奏にパフォーマンスアートや電子音楽の要素を加え、より抽象的で実験的な方向へ進んだ。しかし、こうした前衛的なアプローチは一般のリスナーには理解が難しくなり、フリージャズは一部のアートシーンに閉じた存在となっていった。

一方、スピリチュアルジャズは、よりアンビエントな方向へと進化し、ファラオ・サンダースやアリス・コルトレーンの音楽は、ジャズの枠を超えて瞑想的なサウンドを生み出し、ニューエイジやワールドミュージックと結びついていった。さらに1970年代後半には、アンビエントミュージックやミニマルミュージックとも交差し、持続的で静かな音楽としての役割を持つようになった。その影響は、ヒップホップや電子音楽、さらには現代のスピリチュアルミュージックへと受け継がれていく。

こうして、フリージャズとスピリチュアルジャズは1960年代のジャズシーンを大きく塗り替え、それぞれ異なる道を歩んでいった。

しかし、ジャズの進化は止まらない。1970年代には電子楽器の導入やロック、ファンクとの融合が進み、ジャズは フュージョン という新たなジャンルへと突き進んでいく。

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