ジャズの歴史 #6:1970s-1980s|フュージョンとジャズ・ファンクの時代

逆光でのなか演奏するジャズマンたちをバックにHistory of Jazz #6 の文字

1970年代に入り、ジャズは新たな変革の時代を迎えた。1960年代後半に登場したフリージャズやスピリチュアルジャズは、ジャズの表現を大きく広げたものの、前衛的なスタイルは一般リスナーにとって難解であり、商業的な成功には結びつきにくかった。

そんな中で、ジャズは別の方向へと進化を遂げる。電子楽器の導入と、ロックやファンクの影響 によって、これまでのアコースティックなジャズとは異なる、新たなサウンドが生み出されていった。こうして誕生したのが フュージョンジャズ・ファンク だった。

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フュージョンの誕生

1970年代に入ると、ジャズはロックやファンクの台頭による音楽シーンの変化に直面し、新たなスタイルを模索する中で フュージョン が誕生した。このジャンルは、電子楽器を積極的に導入し、ロック、ファンク、ラテン、R&Bなどの要素を融合させたジャズであり、シンセサイザーやエレキギター、エレキベースが多用され、リズムやビートもより強調されるようになった。

即興性を重視しつつも、ポップスやロックのリスナーにも親しみやすいアレンジを取り入れたことで、ジャズ史上最も商業的に成功したスタイルの一つとなる。同時に、エレキギターのディストーションやワウペダルの使用が新たな表現の幅を広げ、よりプログレッシブなサウンドを生み出した。フリージャズやスピリチュアルジャズの芸術性の高さとは対照的に、フュージョンは親しみやすさと高度な演奏技術を両立させ、新しいリスナー層を開拓しながらジャズの可能性を押し広げた。

フュージョンの代表的なミュージシャン

フュージョンは、ジャズの即興性と電子楽器を融合させ、より多彩なサウンドへと進化した。このジャンルは、多くの革新者によって発展し、エレクトリック化を推進した先駆者や、洗練されたアンサンブルを追求したグループが重要な役割を果たした。

マイルス・デイヴィス(Miles Davis)|エレクトリックジャズの先駆者

フュージョンの誕生を語る上で、マイルス・デイヴィス の存在は欠かせない。彼はジャズの進化を常に先導し、1969年のアルバム「Bitches Brew」 によって、ジャズをエレクトリック化する大きな転換点を生み出した。

この作品では、エレキギターやシンセサイザーを大胆に導入し、ロックのリズムとジャズの即興演奏を融合 させた。しかし、そのサウンドは後のフュージョンに見られる洗練されたアンサンブルとは異なり、カオティックで実験的な即興演奏が中心だった。このため、「Bitches Brew」は厳密には「フュージョン」に分類される作品ではなく、「エレクトリック・ジャズ」や「ジャズ・ロック」としての側面が強い。

それでも、このアルバムの影響は計り知れない。マイルスのバンドからは、ウェザー・リポート(Weather Report)リターン・トゥ・フォーエヴァー(Return to Forever)のメンバーが輩出され、フュージョンというジャンルの確立につながった。

ウェザー・リポート(Weather Report)|ジャズとエレクトロニックの融合

フュージョンを代表するバンドの一つが ウェザー・リポート(Weather Report) だった。キーボード奏者の ジョー・ザヴィヌル(Joe Zawinul) と、サックス奏者の ウェイン・ショーター(Wayne Shorter) を中心に結成されたこのグループは、1970年代から1980年代にかけてフュージョンの最前線を走った。

彼らの代表曲 「Birdland」(1977年)は、シンセサイザーを駆使したメロディアスなサウンドと、ジャズの洗練されたリズムが融合した名曲であり、フュージョンの成功を象徴する一曲となった。

リターン・トゥ・フォーエヴァー(Return to Forever) |フュージョンの進化を牽引

リターン・トゥ・フォーエヴァー(Return to Forever)は、チック・コリア(Chick Corea)を中心に結成され、フュージョンの発展に大きな影響を与えた。1972年のアルバム「Return to Forever」では、スタンリー・クラーク(Stanley Clarke)フローラ・プリム(Flora Purim)らと共に、ラテン・ジャズやボサノヴァの要素を取り入れた洗練されたサウンドを展開。

その後、1973年の「Hymn of the Seventh Galaxy」でエレクトリック化し、よりハードなジャズ・ロックへ進化。さらに、1976年の「Romantic Warrior」では、テクニカルでプログレッシブなフュージョンを確立し、複雑な構成と高度な演奏技術を特徴とするスタイルへと変貌を遂げた。


フュージョンは、ジャズの枠を超えて、ロックや電子音楽とも結びつきながら、新たなジャズの形を確立していった。しかし、ジャズがポップな方向へ進む一方で、よりグルーヴィーでファンキーな進化を遂げる流れもあった。それが ジャズ・ファンク の誕生だった。

ジャズ・ファンクの誕生

1970年代に入ると、ジャズはロックや電子音楽の影響を受けながら、よりリズムを強調したスタイルへと進化し、その流れの中で ジャズ・ファンク が誕生した。ファンクの強烈なグルーヴとジャズの即興演奏を融合させたこのスタイルは、ダンサブルで躍動感のあるサウンドが特徴であり、エレキベースのスラップ奏法やタイトなドラムビート、ホーンセクションの強調が取り入れられた。

ファンクの台頭とともにリズム重視の音楽が広がる中、ジャズミュージシャンたちはこの流れを取り入れ、新たな表現を模索。さらに、クラブミュージックやディスコの影響を受けながら、よりダンスフロア向けのサウンドへと発展し、1970年代後半にはディスコブームとも相まってクラブシーンで重要な役割を果たすようになった。こうして、ジャズの即興性とダンスミュージックのグルーヴが融合し、ジャズ・ファンクは時代を象徴するスタイルの一つとなった。

ジャズ・ファンクの代表的なミュージシャン

ジャズ・ファンクの発展には、多くのミュージシャンが関わり、それぞれのアプローチでジャンルの可能性を広げていった。エレクトリックな音作りを積極的に取り入れたもの、ソウルやR&Bの要素を融合させたもの、リズムの躍動感を追求したものなど、多様なスタイルが生まれた。

こうしたミュージシャンたちは、グルーヴを重視しつつもジャズの即興性を活かし、クラブシーンや大衆音楽とも結びつきながらジャズ・ファンクを確立していった。ここでは、その進化を象徴するアーティストたちを紹介する。

ハービー・ハンコック(Herbie Hancock)|ファンクとジャズの融合

ジャズ・ファンクのパイオニアとして最も有名な人物の一人が、ハービー・ハンコック(Herbie Hancock)だ。彼はもともとモードジャズの名手として知られていたが、1970年代に入り、ファンクとジャズを融合させた新たなサウンドを追求し始めた。

1973年に発表したアルバム 「Headhunters」 は、ジャズ・ファンクの金字塔とも言える作品であり、特に収録曲 「Chameleon」 は、ファンクとジャズの要素が絶妙に融合した代表的な楽曲となった。シンセサイザーを駆使し、エレクトリックなサウンドとグルーヴィーなビートを生み出すことで、ジャズ・ファンクの方向性を決定づけた。

ザ・クルセイダーズ(The Crusaders)|ソウルフルなジャズ・ファンク

ザ・クルセイダーズ(The Crusaders) は、もともとハードバップ寄りのジャズを演奏していたが、1970年代に入るとジャズ・ファンクへとシフトしていった。彼らの音楽は、ホーンセクションのダイナミックなアレンジと、スムースでメロディアスなサウンドが特徴的だった。

1979年にリリースされた 「Street Life」 は、ジャズ・ファンクとR&Bの融合の象徴的な楽曲となり、大衆的な成功も収めた。この曲は、ファンクのグルーヴとジャズの洗練された演奏が絶妙に融合し、ジャズ・ファンクの完成形とも言えるサウンドを生み出している。

ロイ・エアーズ(Roy Ayers)|ヴァイブを活かしたグルーヴィーなサウンド

ジャズ・ファンクの中でも独自の個性を放っていたのが、ヴィブラフォン奏者の ロイ・エアーズ(Roy Ayers)だった。彼の音楽は、ジャズ・ファンクとソウルミュージックを融合させたスタイルであり、1970年代後半には、より洗練されたメロウなサウンドへと進化していった。

彼の代表作 「Everybody Loves the Sunshine」(1976年)は、ジャズ・ファンクの中でも特にリラックスした雰囲気を持ち、アンビエントな要素も含んでいる。この楽曲は、後のヒップホップやネオ・ソウルのアーティストにも多大な影響を与え、サンプリングされることも多い。


ジャズ・ファンクは、ジャズの即興性とファンクのグルーヴを融合させ、1970年代のジャズをより親しみやすく、身体で感じる音楽へと変化させた。 その一方で、ジャズの商業化が進み、フュージョンやジャズ・ファンクがよりポップな方向へと進む中で、ジャズの本来の芸術性を取り戻そうとする動きも生まれていた。

1980年代に入ると、ジャズは二つの方向へ進んでいく。一つは、よりスムースで聴きやすい スムースジャズ の誕生。そしてもう一つは、ジャズのルーツを見つめ直し、伝統的なジャズに回帰しようとする ネオ・バップ の登場だった。

ジャズの商業化と大衆化:次の時代へ

1970年代から1980年代にかけて、フュージョンジャズ・ファンク はジャズ史上最も商業的に成功したスタイルとなり、電子楽器の導入やグルーヴを重視したアプローチによって、ジャズはポップスやロックのリスナー層にも広がっていった。

テレビや映画、ラジオ、クラブシーンにも浸透し、ウェザー・リポートの「Birdland」やハービー・ハンコックの「Chameleon」 などの楽曲は、ジャズを「ポップミュージックの一部」としても機能させるまでに至った。

しかし、この成功の裏では、ジャズ本来の即興性やアート性が薄れ、商業的な側面が強調されすぎたという批判もあった。特にジャズ・ファンクはディスコブームと結びつくことで、クラブ向けのエンターテイメントとして消費される音楽へと変化し、ジャズの本質とは何かが問われる時代へと突入していった。

その一方で、新たなスタイルも生まれ始めた。フュージョンの発展系として、よりスムースで聴きやすい「スムースジャズ」 が登場し、また一方では、ジャズのルーツに立ち返ろうとする動きも現れた。そして、フュージョンやジャズ・ファンクの流れを受け継ぎながらも、ジャズの伝統的な即興や複雑なハーモニーを再評価する「ネオ・バップ」 という新たなスタイルも台頭し、ジャズは再び変革の時を迎えた。

次回は、1980年代から1990年代にかけて、ジャズがどのように進化していったのか、「ネオ・バップ」と「スムースジャズ」 に焦点を当てながら、その変遷を追っていく。

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