ジャズの歴史 #7:1980s-1990s|ネオ・バップとスムースジャズの誕生

逆光でのなか演奏するジャズマンたちをバックにHistory of Jazz #7 の文字

1980年代に入ると、ジャズは新たな転換期を迎えた。フュージョンやジャズ・ファンクが商業的な成功を収める一方で、「ジャズの本質はどこへ向かうのか?」という問いが生まれ始めていた。

その答えの一つが、ネオ・バップ だった。1950年代のビバップやハードバップを再解釈し、ジャズの伝統を現代的な感覚で蘇らせる動きが加速していった。対照的に、フュージョンの流れを受け継ぎ、よりメロウで洗練されたサウンドへと進化したのが スムースジャズ だった。

伝統回帰とポピュラーミュージックへの適応——ジャズはこの二つの流れの中で進化を続けていく。

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ネオ・バップの台頭

1980年代に入り、フュージョンやジャズ・ファンクが商業的に成功を収める一方で、ジャズ本来の即興性や芸術性を取り戻そうとする動きが強まった。その流れの中で誕生したのが ネオ・バップ だ。

1950年代のビバップやハードバップを基盤にしながらも、現代的な感覚を加え、アコースティック楽器を中心に据えたこのスタイルは、複雑なコード進行や即興演奏を重視しつつ、洗練されたモダンなアプローチを取り入れた。

1970年代、ジャズがよりポップな方向へ進む中で、伝統的なジャズの精神を再評価する動きが生まれた。「ジャズはもっとスリリングで挑戦的であるべきだ」と考えた若手ミュージシャンたちは、過去の巨匠たちの音楽を研究し、その精神を現代に甦らせようとした。特に、ジャズを純粋な芸術として捉えたプレイヤーの登場により、この流れは加速。クラシック音楽の要素や新たなハーモニーを取り入れながら、ネオ・バップは単なる回帰ではなく、伝統と革新を融合させた新たなジャズの形として進化を遂げた。

ネオ・バップの代表的なミュージシャン

ネオ・バップの発展には、伝統を受け継ぎながらも新たな感覚を加えたミュージシャンたちが重要な役割を果たした。彼らはビバップやハードバップの精神を現代に甦らせ、鮮明なリズムや洗練されたアンサンブルを追求しながら、新たな世代のリスナーにもジャズの魅力を伝えた。ここでは、その流れを象徴するアーティストを紹介する。

ウィントン・マルサリス(Wynton Marsalis)|ネオ・バップの旗手

ウィントン・マルサリス(Wynton Marsalis) は、ネオ・バップの象徴的存在であり、ジャズの伝統を復興させた立役者だった。卓越したトランペットの技術と強い表現力を持ち、ビバップやハードバップのエネルギーを現代に再構築しながら、新たな世代にジャズの価値を提示した。

1985年のアルバム「Black Codes (From the Underground) は、ネオ・ハードバップの名作として高く評価され、彼の演奏スタイルを象徴する代表的な作品となった。このアルバムでは、洗練されたリズムと高度なハーモニーを駆使し、伝統的なジャズの要素を現代的にアップデートしている。さらに、「Standard Time」シリーズでは、ジャズの黄金時代の楽曲を取り上げつつ、新たな解釈と洗練されたアレンジによって、クラシックなジャズに新たな息吹を吹き込んだ。

彼は、ジャズを単なるエンターテインメントではなく「芸術音楽」として確立することを目指し、「ジャズはポップスではなく、高度な芸術であるべきだ」 という立場を貫いた。その姿勢は賛否を呼んだが、彼の活動がネオ・バップの発展に大きく貢献したことは間違いない。

ジョシュア・レッドマン(Joshua Redman)|モダンな感性を持つサックス奏者

ジョシュア・レッドマン(Joshua Redman)は、1990年代に登場し、ネオ・バップの流れをさらに発展させたサックス奏者の一人だった。彼のスタイルは、1950年代のハードバップの流れを汲みながらも、より現代的な響きを持つものだった。

彼の音楽の特徴は、伝統的なジャズの形式に根ざしながらも、洗練されたメロディラインとダイナミックなリズム感を持っていることだった。ハーモニーの使い方にも工夫があり、どこか都会的でモダンな雰囲気を漂わせるプレイが持ち味だった。

アルバム「Wish」(1993年)や 「Moodswing」(1994年)は、ネオ・バップの代表作として評価され、過去のスタイルを継承しながらも、新たな時代のジャズを切り拓いた作品 となった。

ブランフォード・マルサリス(Branford Marsalis)|クラシックとジャズの融合

ウィントン・マルサリスの兄、ブランフォード・マルサリス(Branford Marsalis)もまた、ネオ・バップの重要な担い手だった。彼はサックス奏者としての技術に優れ、ジャズとクラシックの融合を試みるなど、独自のアプローチを追求 していた。

彼の音楽は、ビバップやハードバップの影響を受けながらも、クラシックや多ジャンルの音楽とのクロスオーバーを積極的に取り入れた点が特徴的だった。また、1990年代にはポスト・バップの要素を強く持つ作品を発表し、ジャズのさらなる進化を模索した。

彼のアルバム Requiem(1999年)は、彼のクラシック的な要素とジャズの即興が見事に融合した作品として高く評価されている。


ネオ・バップは、フュージョンのポップ化とは異なる方向で、ジャズの芸術性を再構築 し、ビバップやハードバップの精神を現代に甦らせた。しかし、ジャズをより広い層に届けるため、洗練されたポップなアプローチを追求する動きも同時に進行していた。

スムースジャズの台頭

1980年代から1990年代にかけて、ジャズはさらに多様化し、より親しみやすく洗練された スムースジャズ が確立された。フュージョンの流れを受け継ぎつつ、よりメロディアスでシンプルなアレンジを追求し、クリアなサウンドや穏やかなグルーヴを特徴とするこのスタイルは、難解な即興よりも聴きやすさを重視している。

フュージョンがロックやファンクと結びついたのに対し、スムースジャズはポップスやR&Bの要素を取り入れ、ラジオやカフェ、テレビなどで流れやすい音楽へと発展。FMラジオの普及とともに、長時間聴き続けられる落ち着いたサウンドが求められるようになり、カフェやホテルのBGMとしても定着した。さらに、「癒し」や「チルアウト」への関心が高まる中、その柔らかなメロディとリラックスできる雰囲気が、多くのリスナーに支持され、ジャズの新たなスタイルとして広まっていった。

スムースジャズの代表的なミュージシャン

スムースジャズの発展には、親しみやすいメロディと洗練されたサウンドを追求したミュージシャンたちの活躍が欠かせない。彼らは、ジャズの要素を残しつつも、ポップスやR&Bの影響を取り入れ、より多くのリスナーに響くスタイルを確立した。

ケニー・G(Kenny G)|スムースジャズの象徴

スムースジャズを語る上で、最も有名なアーティストが ケニー・G(Kenny G) だ。彼の音楽は、ジャズというよりもポップス寄りの要素が強いが、スムースジャズの商業的成功を決定づけた存在と言える。

ケニー・Gは、ソプラノサックスの柔らかい音色と、シンプルで親しみやすいメロディを武器に、1980年代後半から爆発的な人気を獲得した。特に 「Breathless」(1992年)は、スムースジャズ史上最も売れたアルバムの一つであり、彼の代表曲 「Forever in Love」 はグラミー賞を受賞するなど、スムースジャズをメインストリームへと押し上げた。

彼の音楽はジャズというよりも「インストゥルメンタル・ポップ」とも言えるが、スムースジャズというジャンルが広く認知されるきっかけを作ったことは間違いない。

デイヴ・コーズ(Dave Koz)|洗練されたサウンドの追求

デイヴ・コーズ(Dave Koz)は、ケニー・Gと並ぶスムースジャズの代表的なサックス奏者であり、よりジャズ寄りのアプローチを取ったミュージシャンだった。

彼の音楽は、ポップスの要素を持ちながらも、ジャズの要素をしっかりと残し、より都会的で洗練されたサウンドが特徴だった。シンセサイザーを駆使したアレンジと、サックスの流麗なメロディが特徴であり、カフェやラウンジなどのBGMとしてもよく流れるようになった。

彼のアルバム 「Lucky Man」(1993年)や 「The Dance(1999年)は、スムースジャズの代表作として知られ、多くのジャズファンに親しまれている。

ボブ・ジェームス(Bob James)|フュージョンからスムースジャズへ

ボブ・ジェームス(Bob James)は、もともとフュージョンのピアニストとして活動していたが、スムースジャズの発展に大きな影響を与えた人物の一人だった。

彼の音楽は、ジャズとR&B、ポップスの要素を組み合わせたものであり、1970年代のフュージョンからスムースジャズへと自然な流れを作り出した。特に、「Angela」(1978年)は、アメリカの人気ドラマ「Taxi」のテーマ曲として知られ、スムースジャズの先駆けとも言えるサウンドを確立した。

また、彼は Fourplay というバンドを結成し、ギタリストのリー・リトナー(Lee Ritenour)らと共に、よりリラックスしたジャズのスタイルを追求していった。彼の音楽は、スムースジャズの中でもジャズ寄りのアプローチを取っており、高度な演奏技術とメロディアスな楽曲を融合させたスタイル で人気を博した。


スムースジャズは、ジャズの複雑な即興演奏やアグレッシブなリズムとは異なり、聴きやすさとリラックス感を重視したスタイルとして発展した。そのため、クラシックなジャズファンからは「本当のジャズではない」という批判もあったが、スムースジャズがジャズの裾野を広げ、多くのリスナーにジャズというジャンルを届けたことは間違いない。

一方で、ジャズの芸術性を取り戻そうとする流れもあり、スムースジャズとは対照的に、より伝統的なジャズのスタイルを追求するミュージシャンたちもいた。

ネオ・バップとスムースジャズの共存:対照的なスタイルの共存

1980年代から1990年代にかけて、ジャズは「芸術性を追求するネオ・バップ」「聴きやすさを重視したスムースジャズ」という対照的なスタイルが共存する時代となった。

ネオ・バップ は、1950年代のビバップやハードバップの要素を受け継ぎ、即興性や技術的な挑戦を重視したスタイルで、ウィントン・マルサリスらがジャズを「高度な芸術」として再定義し、伝統を守ることにこだわった。

一方、スムースジャズは、フュージョンの流れを継承しつつ、リラックスしたムードを重視。ラジオやカフェなど「日常に溶け込むジャズ」として人気を博し、ケニー・Gやデイヴ・コーズらが広めた。

この二つのスタイルは、ジャズの「芸術性」と「ポピュラーミュージックとしての側面」を巡る対立を生み、ネオ・バップ派はスムースジャズを「ジャズではない」と批判し、スムースジャズ側は「ジャズの楽しみ方は多様だ」と反論。ジャズのあり方をめぐる議論が活発に交わされた。

しかし、この対照的なスタイルの共存こそが1980〜90年代のジャズシーンの特徴であり、商業的成功を追求しつつ伝統を守る多様な音楽文化が育まれた時代となった。

ジャズの進化:1990年代の多様化と次の時代への展開

1990年代に入ると、ネオ・バップ は現代ジャズの基盤となり、ジャズの伝統を守るスタイルとして確立された。ジョシュア・レッドマン や ブランフォード・マルサリス らは、伝統的なスタイルを継承しつつ、モダンな解釈を加えながら芸術性を追求していった。

一方、スムースジャズ は進化を遂げ、クラブジャズやチルアウト系の音楽と融合。ロイ・エアーズやボブ・ジェームスらは、ヒップホップや電子音楽の要素を取り入れ、BGMとしてだけでなくクラブシーンにも広がっていった。

こうした多様なスタイルの共存により、ジャズは単なる一つのジャンルではなく、多彩な形を持つ音楽であることを改めて示し、異なるリスナー層へと拡大していった。

そして、1990年代後半から2000年代にかけて、ジャズはさらなる変化を遂げ、新世代のミュージシャンたちが伝統と革新を交錯させた新たなクロスオーバースタイルを生み出していくことになる。

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