ダンス革命:2000年以降のレイブ文化とメインストリーム化

黄色のスマイリーフェイスがポップでサイケなデザインの背景に描かれている。

2000年代に入ると、レイヴカルチャーは二極化する。

ダンスミュージックがメインストリームの音楽シーンに融合し、大規模なフェスティバルが誕生していく。もう一方では、政府の規制や商業化への反発から、アンダーグラウンドのレイヴシーンが再燃し、DIYスピリットに根ざした違法イベントが復活する。

前の記事

クラブミュージックの主流化とEDMの誕生

アンダーグラウンドからメインストリームへの移行。その昔、違法パーティーでのみ体験することのできたダンスミュージックがヒットチャートを席巻することになる。

テクノ、ハウスの進化とビッグビートの影響

1990年代後半から2000年代初頭にかけて、テクノやハウスはメインストリームに進出し、ロックやヒップホップと並ぶ主要ジャンルの一つとなった。その原動力となったのが、ビッグビートの台頭である。ビッグビートは、ハウスやテクノの要素を取り入れながらも、よりアグレッシブでロック的な要素を含んでおり、従来のダンスミュージックとは異なるアティチュードを持っていた。

The Chemical Brothers
サイケデリック、ロック、オールドスクールHIPHOPなど、様々な要素を融合した独自のビッグビート・サウンドで人気を獲得し、「Block Rockin’ Beats」や「Hey Boy Hey Girl」などのアンセム的なヒットを生み出した。

Daft Punk
フレンチハウスを代表するユニットで、ディスコの影響を色濃く反映したアルバム『Discovery』(2001)は、エレクトロニックミュージックの新たな時代を象徴する作品となった。

Fatboy Slim
「Praise You」や「Right Here, Right Now」などのヒット曲を生み出し、アシッドハウスやブレイクビーツの要素を取り入れながら、レイヴ文化をポップでキャッチーなフォーマットへと昇華させた。

こうしたアーティストたちは、レイヴカルチャーのエネルギーを継承しながらも、エレクトリックミュージックをより多くの人々に届く形に進化させていった。


EDMの誕生と大規模フェスの隆盛

2010年代に入ると、エレクトロニックダンスミュージック(EDM)がメインストリームのポップミュージックと融合し、巨大な市場を形成するようになった。

従来のアンダーグラウンドなレイヴとは異なり、EDMは派手な演出と商業的なプロモーションを伴い、大規模フェスティバルを中心に発展していく。

EDMフェスティバルの登場

Tomorrowland(ベルギー)
2005年にスタートし、壮大なステージデザインと圧倒的な演出で世界最大級のダンスフェスへ成長。

Ultra Music Festival(アメリカ)
1999年にマイアミで開始され、EDMの成長とともに規模を拡大。

Electric Daisy Carnival(EDC, アメリカ)
1997年にスタートし、2010年代にはラスベガスを拠点に年間40万人以上を動員するフェスへと進化。

EDMのスーパースターたち

David Guetta
エレクトロとポップを融合し、「Titanium」などのヒット曲を生み出す。

Swedish House Mafia
「Don’t You Worry Child」などでEDMの黄金時代を象徴。

Skrillex
ダブステップをメインストリームへ押し上げ、「Bangarang」などで爆発的な人気を得る。

こうしたアーティストとフェスティバルの台頭により、レイヴ文化はポップミュージックの中核へと組み込まれるようになった。


アンダーグラウンドの再燃と違法レイヴの復活

商業化が進む一方で、レイヴの反体制的な精神は依然として生き続けていた。2000年代後半から2010年代にかけて、政府の規制強化やクラブ文化の変化により、アンダーグラウンドなレイヴが再び活発になっていく。

海賊ラジオと地下イベントの増加

1990年代のレイヴ文化と同様に、パイレートラジオ(違法な海賊放送局)がアンダーグラウンドな音楽シーンを支えるプラットフォームとなった。

Rinse FM(ロンドン)
1994年に設立されたが、2000年代に入っても依然として海賊ラジオ局として活動し、グライムやダブステップのシーンを牽引。

Sub FM
2000年代中盤以降、インターネットベースのアンダーグラウンドラジオとして、ジャングルやUKベースミュージックを世界に発信。

こうしたパイレートラジオは、政府の取り締まりを受けながらも、アンダーグラウンドなダンスミュージックの精神を維持し続けた。

違法レイヴの再興

2000年代後半になると、商業的なクラブシーンから距離を置き、よりDIY精神に基づいた違法レイヴが再び活発になった。特にイギリスでは、ロンドンやマンチェスターの郊外、さらには廃墟や森林、工業地帯などでのゲリラ的なレイヴパーティーが増加した。

違法レイヴは、SNSや暗号化メッセージを通じて情報が拡散され、警察の取り締まりを避けるために短時間での設営と撤収が徹底される。また、エントランスは無料もしくは寄付制で運営されることが多い。こうした特徴により、1990年代のスピリットを受け継いだDIYレイヴが新たな形で復活することとなった。

DIYフェス(Bangface, Bloc Weekend)の拡大

アンダーグラウンドの復活を象徴するのが、DIYフェスティバルの拡大だ。商業的なフェスとは異なり、よりエッジの効いたアーティストやジャンルに焦点を当てたイベントが増加した。

Bangface(バングフェイス)
2003年にロンドンでスタートし、ハードコア、ブレイクコア、アシッドテクノなどのアンダーグラウンドなスタイルをキープ。2008年以降はウィークエンダー形式のフェスを展開し、イギリスのレイヴシーンの中心的存在に。

Bloc Weekend(ブロック・ウィークエンド)
2006年に始まり、Aphex TwinやSquarepusher、Autechreなどのエクスペリメンタルなアーティストをラインナップ。EDMのメインストリーム化とは異なる路線で、シリアスなエレクトロニカファンに支持されるフェスへ成長。

こうしたイベントは、アンダーグラウンドな音楽文化を維持しながら、独自のスタイルを確立している。このような二極化は、現在のダンスミュージックシーンにおいても続いており、レイヴ文化の多様性と進化を象徴している。


レイヴの進化と未来:自由と反骨精神の行方

レイヴカルチャーは1980年代のアシッドハウス革命から始まり、約40年にわたり進化を続けてきた。シカゴハウスとバレアリック・ビートが交差し、セカンド・サマー・オブ・ラブの熱狂の中、野外や倉庫での違法パーティーが急増。音楽と自由な精神が融合し、若者たちは新たな文化を生み出した。

1990年代には規制強化により違法レイヴが厳しく取り締まられるも、この文化は地下へと潜り、テクノやジャングルなど多様なジャンルが誕生。商業フェスとDIY精神を受け継ぐフリーパーティーの二極化が進んだ。

2000年代以降、ダンスミュージックはメインストリーム化する一方、アンダーグラウンドレイヴは独自の進化を遂げ、違法レイヴやDIYフェスが密かに復活。新たな反骨精神を持つ世代が登場した。

現在、レイヴはテクノロジーと融合し、新たな時代へと突入している。VRやメタバースにより物理的な制約を超えた音楽体験が身近になる日も近い。一方アンダーグラウンドレイヴはLGBTQ+支援や環境問題、反権威的メッセージの発信の場として今も機能し続けている。

商業化とアンダーグラウンド、テクノロジーとDIY精神が交錯する中、「自由・創造・反骨精神」というレイヴのDNAは形を変えながら次世代へと受け継がれていくだろう。

タイトルとURLをコピーしました