レゲエとダブ:サウンドシステムが音楽を変えた:#2 UKシーンの拡大

ラスタカラーの背景に ‘EXPANSION’ の文字

1980年代に入ると、UKにおけるレゲエとダブはさらなる進化を遂げ、多様な音楽シーンと結びついて発展していった。1970年代にジャマイカからもたらされたサウンドシステム文化は、ロンドンやバーミンガムを中心に独自のスタイルを築き上げ、イギリスならではのダブ・サウンドを生み出す土壌を整えていた。

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1980年代:UKダブの進化と音楽シーンの拡張

この時期、UKレゲエは商業的成功を収める一方で、アンダーグラウンドではより実験的なダブが発展した。アーティストやプロデューサーたちは新たな技術を取り入れ、ダブの可能性を拡張していった。また、ダブはレゲエ以外のジャンルにも影響を及ぼし、ポストパンクやニューウェーブ、さらにはエレクトロニカへとつながるサウンドの源流となった。

UKレゲエの深化:Steel PulseとUB40

1980年代のUKレゲエシーンでは、ジャマイカ発祥のレゲエをベースにしながら、より幅広い層に受け入れられるサウンドが生み出された。その中で特に成功を収めたのが、Steel PulseUB40だ。

Steel Pulse

バーミンガム出身のバンドで、レゲエの持つ社会的・政治的メッセージを強く押し出しながら、UKならではの洗練されたアレンジを加えたスタイルを確立。80年代には、ルーツ・レゲエに加えてファンクやロックの要素を取り入れ、サウンドの幅を広げた。

1982年のアルバム「True Democracy」は、UKレゲエシーンにおける代表作のひとつであり、「Your House」「Ravers」 などの楽曲は、よりメロディアスなアプローチで多くのリスナーに支持された。さらに、1984年の「Earth Crisis」では、「Steppin’ Out」 のようなダンサブルな楽曲を展開し、レゲエの枠を超えたサウンドを追求。彼らの音楽は、UKの移民コミュニティだけでなく、より広いオーディエンスにも浸透していった。

UB40

UB40 は、よりポップなアプローチで広範なリスナーにレゲエを届けたバーミンガム出身のバンドで、レゲエのキャッチーなメロディと洗練されたアレンジを特徴とした。彼らはオリジナル楽曲に加え、カバー曲を多く取り入れ、「Red Red Wine」(ニール・ダイアモンド作)や「I Got You Babe」(ソニー&シェールのカバー)などのヒットで世界的な成功を収めた。特に「Red Red Wine」は 1983年にリリースされ、UKチャート1位を獲得し、のちにアメリカでもヒット。純粋なルーツ・レゲエとは異なるものの、ポップスやラバーズ・ロックの要素を取り入れた彼らの音楽は、UKレゲエの多様性を象徴する存在となった。

ダブの実験精神:Adrian SherwoodとMad Professor

商業的に成功を収めるレゲエバンドが台頭する一方で、新たな音響空間を生み出す実験的な音楽表現としてUKダブも進化した。1980年代のUKでは、Adrian Sherwood Mad Professor がそれぞれ異なるアプローチでダブの可能性を押し広げ、ジャマイカの伝統を超えた新たなサウンドを生み出した。

Adrian SherwoodとOn-U Sound

1980年代のUKダブにおいて、最も革新的なプロデューサーの一人が Adrian Sherwood だ。彼は レーベル On-U Sound を設立し、ジャマイカの伝統的なダブにポストパンク、インダストリアル、エレクトロニカなどの要素を融合させ、実験的なサウンドを生み出した。

On-U Sound の代表的なプロジェクトの一つが New Age Steppers であり、The SlitsThe Pop Group のメンバーとジャマイカのミュージシャンが結合。1981年のデビューアルバム「New Age Steppers」は、ポストパンクのアヴァンギャルドな感性とダブの浮遊感を組み合わせた革新的な作品となった。

また、Sherwood は African Head ChargeDub Syndicate をプロデュースし、エコーやディレイを駆使した独自の音響空間を構築。African Head Charge はアフリカン・パーカッションとダブを融合させ、Dub Syndicate はよりミニマルでリズムにフォーカスしたアプローチを展開した。

彼の試みは、ダブを単なるレゲエの延長ではなく新たな音楽ジャンルへと昇華させ、のちのエレクトロニカ、アンビエント・ダブ、トリップホップなどにも影響を与えた。On-U を通じて、Sherwood はダブの可能性を押し広げ、UKアンダーグラウンド・シーンにその文化を根付かせていく。

Mad Professorとデジタルダブの台頭

1980年代後半には、ダブのプロダクションにデジタル技術が導入されるようになった。このデジタルダブの革新を牽引したのが、Mad Professorだ。

Mad Professorは、ジャマイカの伝統的なダブの手法を受け継ぎながら、シンセサイザーやデジタルエフェクトを積極的に取り入れ、より洗練されたサウンドを追求した。彼の代表作「Dub Me Crazy」シリーズは、デジタルダブの先駆けとして高く評価され、UKダブの発展において重要な役割を果たした。

また、彼はMassive Attackのアルバム「Protectionのダブ・リミックスアルバム「No Protection(1995年)を手がけるなど、90年代以降のブリストル・サウンドにも影響を与えた。彼のサウンドは、ダブがクラブミュージックやエレクトロニカと結びつくきっかけを作り、ジャンルを超えた広がりを見せるようになった。

1980年代のUKダブの影響

1980年代のUKダブは、単なるレゲエの一形態ではなく、音楽の実験場としての役割を果たした。サウンドシステム文化の発展とともに、Adrian Sherwood や Mad Professor といったプロデューサーが新たな表現を追求し、ダブはジャンルを超えた影響力を持つようになった。

この時期のUKダブの革新は、1990年代以降のクラブミュージックやレイブカルチャーにもその遺伝子が引き継がれていくことになる。

1990年代:ダブの遺伝子が生み出した新たなサウンド

1990年代に入ると、UKダブは進化を遂げ、ジャングル、ドラムンベース、ブリストル・サウンド、UKガラージ などに影響を与えた。ダブ特有のリズム、重低音、空間的エフェクトがクラブミュージックに浸透し、サウンドシステム文化のDIY精神と融合。デジタル技術の発展とともに、ダブの音響手法はサンプラーやエフェクトを活用したプロダクションへと発展し、90年代の電子音楽シーンに大きな影響を与えた。

ジャングルとドラムンベース:サウンドシステムのDNAを継承

1990年代初頭に登場した ジャングル は、UKダブやサウンドシステム文化から大きな影響を受けたジャンルだ。ファンクのブレイクビーツを高速でループさせ、ダブの空間的なエフェクトやベースラインを取り入れたサウンドは、レゲエとレイヴカルチャーが融合した新たな音楽として急速に人気を集めた。

ジャングルのアーティストたちは、ダブの特徴であるベースの強調、エコーやディレイの多用、そして即興的なリミックス手法を積極的に取り入れた。例えば、Shy FXRagga Twins といったアーティストは、レゲエMCのスタイルをジャングルのトラックに組み込み、UK独自のクラブミュージックとして確立させていった。

その後、ジャングルはより洗練された形へと発展し、ドラムンベースへと進化していく。GoldieLTJ Bukemといったアーティストは、ジャングルの荒々しさを残しつつ、よりメロディックでスタイリッシュなサウンドへと昇華させた。ドラムンベースの重低音は、まさにダブの影響を受けた要素であり、クラブミュージックの発展において重要な役割を果たした。

ブリストル・サウンドの形成:Massive Attack、Smith & Mighty、Portishead

1990年代のUK音楽シーンで特に特徴的だったのが、ブリストルを拠点とするアーティストたちによって形成された「ブリストル・サウンド」だ。ブリストルは、80年代からサウンドシステム文化が根付いていた都市であり、その影響を受けたアーティストたちが、ヒップホップ、ダブ、ソウル、ジャズを融合させた独特のサウンドを生み出した。

ブリストル・サウンドを代表するアーティストとして挙げられるのが、Massive AttackSmith & Mighty、そして後に登場するPortisheadだ。

Massive Attack

91年にアルバム「Blue Lines」を発表し、ダブの影響を受けたスローテンポでメランコリックなサウンドを確立した。彼らの楽曲は、重厚なベースラインと空間的なエフェクトを特徴とし、ダブの音響的手法を取り入れながらも、ヒップホップやソウルの要素と融合していた。特に「Unfinished Sympathy」「Safe from Harm」といった楽曲は、クラシックなブリストル・サウンドの代表例として知られている。

Smith & Mighty

ヒップホップとレゲエを融合させた先駆者的存在であり、Massive Attack にも影響を与えた。彼らのサウンドは、ダブのプロダクション技法を活かしつつ、サンプリングやブレイクビーツを取り入れることで、UK特有のグルーヴを生み出した。特に、彼らが手がけたFresh Four「Wishing on a Star」(1989年)は、ヒップホップとUKダブの融合を示す重要な楽曲のひとつである。

Portishead

1994年には、ブリストル・サウンドの流れを受け継ぎつつ、よりダークでシネマティックなアプローチを取る Portishead が登場した。彼らのデビューアルバム「Dummyは、ジャズやソウルの影響を受けたダウナーなムードと、ダブ由来の重低音や空間処理を組み合わせた独自のスタイルを確立した。Beth Gibbons の憂いを帯びたボーカルと、Geoff Barrow の大胆なサンプリング手法が融合し、「Sour Times」「Glory Box」といった名曲が生まれた。


ブリストル・サウンドは、ダブの持つ深みと重低音を継承しながら、新しい音楽ジャンルとして確立され、トリップホップという新たなジャンルの礎を築いた。Massive Attack、Smith & Mighty、Portisheadといったアーティストたちは、90年代の音楽シーンに大きな影響を与え、のちのエレクトロニカやポスト・ダブの発展にもつながる重要な流れを生み出してゆく。

UKガラージ:低音の進化とクラブカルチャー

1990年代後半、UKのクラブシーンでは新たなジャンルとして UKガラージ が台頭した。このジャンルは、ハウスミュージックのリズムと、ジャマイカのサウンドシステム文化から影響を受けた重低音を特徴とする。

特に、UKガラージのサブジャンルである 2ステップ は、レゲエのリズムパターンを取り入れ、よりファンキーで軽快なグルーヴを生み出した。このUKガラージの流れが、のちにグライムやダブステップへと発展していくことになる。

UKガラージのアーティストたちは、ダブのプロダクション技法を応用し、ボーカルのカットアップやリバーブ処理、低音の強調を巧みに活用していた。これにより、ジャマイカの音楽とクラブミュージックが融合した、まったく新しいダンスミュージックの形が生み出された。

1990年代のUKダブの影響

1990年代のUK音楽シーンにおいて、ダブは単なるレゲエの一形態ではなく、電子音楽やクラブカルチャーと結びつき、新たなサウンドを生み出す要素となった。

ジャングルやドラムンベースでは、ダブのリズムやエフェクト技法が活かされ、UKならではのベースミュージックが確立された。
ブリストル・サウンドは、ダブの空間的なプロダクションを応用しトリップホップへと発展、UKガラージはダブの低音文化を受け継ぎ、クラブミュージックの進化に寄与した。
このように、ダブの遺伝子は90年代のUK音楽のあらゆる領域に影響を及ぼし、その後の音楽シーンにおけるさらなる進化への礎を築いていった。

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