1990年代、レイブカルチャーは新たな局面を迎える。規制と商業化、そして進化。
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90年以降のレイブの大規模化と音楽の進化
1990年代に入ると、レイブカルチャーは商業化とジャンルの細分化という二つの大きな流れを経験することになる。1980年代後半にアンダーグラウンドで広がったアシッドハウスとレイブは、より大規模なイベントへと発展し、ジャングル、ハードテクノ、IDM(インテリジェント・ダンス・ミュージック)といった新たな音楽ジャンルが確立された。
しかし、この拡大とともに政府の規制が強化され、1990年代初頭にはアンダーグラウンドなレイブへの取り締まりが厳しくなった。特に1992年の「Castlemorton Common Festival」は、推定20,000~40,000人が集まる史上最大級の違法レイブとなり、警察の対応が追いつかず、レイブが社会問題として取り上げられるきっかけとなった。
Criminal Justice and Public Order Act:政府の規制とレイブの変遷
1994年、イギリス政府は違法レイブや反体制的な抗議活動を取り締まるため、「Criminal Justice and Public Order Act」を制定。
特に「Repetitive Beats(反復的なビート)」を特徴とする音楽の禁止が注目され、テクノやハウスといったレイブミュージックが標的とされた。
法律の主な内容
「Repetitive Beats」を特徴とする音楽の禁止
「低音のリズムが連続する音楽を流す屋外イベントは違法」と定義
警察の権限強化
「疑わしい」イベントの事前解散が可能になり、公共スペースでの集会自体が犯罪とされた
スクワッター(不法占拠者)やトラベラー(放浪民)文化への規制
レイブだけでなく、移動型コミュニティ全体が取り締まりの対象に
抗議活動の制限
デモ参加者の監視・逮捕権限が強化され、政府批判の集会も取り締まられるようになった。この法律は、レイブシーンに大きな衝撃を与えたが、同時にレイブ文化の抵抗精神をより強固なものにした。
レイブ文化の反発と「Freedom to Party」運動
「Criminal Justice and Public Order Act」の制定に対し、レイブカルチャーの支持者、アーティスト、人権活動家は強く反発し、大規模なデモや抗議活動が巻き起こった。その象徴的な出来事の一つが、ロンドンのトラファルガー広場で行われたデモである。この抗議には10万人以上が参加し、レイブ文化の自由を求める人々に加え、環境団体や人権団体も加わり、政府の権力拡大に対する反対を訴えた。当日は警察との衝突も発生し、多くの逮捕者が出るなど、政府とレイブカルチャーの対立が激化していた。
この運動の一環として、「Freedom to Party」運動も展開された。この運動では、「Repetitive Beats(反復的なビート)」は文化の一部であり、犯罪ではないというメッセージを掲げ、レイブカルチャーの正当性を訴えた。音楽業界やアーティストもこれを支援し、デモやイベントを通じて政府の規制に抗議した。
また、レイブカルチャーの反発を象徴する楽曲として、The Prodigyの “Their Law”(1994) がリリースされた。この楽曲では、「Fuck them and their law(やつらとその法律なんてクソだ)」という強烈なメッセージが歌われ、レイブカルチャーの抵抗精神を強く打ち出していた。政府の規制に対する音楽的な反撃として、多くの支持を集め、レイブカルチャーのアイデンティティを象徴する楽曲となった。
レイブのアンダーグラウンド化と商業化
政府による規制の強化により、1990年代半ばのレイブシーンは大きな変化を遂げた。違法レイブが厳しく取り締まられるようになったことで、アンダーグラウンド化、ヨーロッパへの移動、クラブシーンへの移行という3つの方向に分かれることとなる。
一部レイブパーティーはアンダーグラウンド化し、ゲリラ的なパーティーの開催が増加した。開催情報は公にされることはなく、電話ホットラインやSMSといった非公開のネットワークを利用して極秘裏に告知されるようになった。こうした方法により、警察の取り締まりをかわしながら、レイヴ文化は密かに存続し続けた。
一方で、イギリス国内での開催が困難になったことを受け、レイブシーンはヨーロッパ各地へと拡散していった。特にSpiral Tribe(スパイラル・トライブ)のようなアーティストたちは、フランス、ドイツ、スペインへと移動し、現地で「テクニバル(Teknival)」と呼ばれる新たなレイブ文化を広めた。これにより、イギリス発祥のダンスムーブメントは、ヨーロッパ全土に影響を与える国際的なものへと発展していった。
また、一部のレイブパーティーは違法イベントから合法的な大規模ダンスイベントへと移行し、クラブシーンが大きく拡大することとなる。ロンドンではMinistry of Sound、Cream、Gatecrasherといったスーパークラブが誕生し、より洗練された環境の中でダンスミュージックが楽しめるようになった。この流れの中で、クラブ文化はより一般的なものとなり、レイブはもはやアンダーグラウンドの一部ではなく、大衆に広く受け入れられる存在へと変貌していった。
Fantazia, Dreamscape, Helter Skelter:合法レイブの台頭
1990年代初頭、レイブカルチャーはクラブの枠を超え、数千人規模の大規模ダンスイベントへと成長していった。その代表格が、Fantazia、Dreamscape、Helter Skelterといったイベントである。
Fantazia(ファンタジア)
イギリス最大級のレイブプロモーターとして、広大な野外フェスティバルや屋内アリーナイベントを開催した。ハードコア、ハッピーハードコア、ジャングルのDJたちが集結し、PLUR(Peace, Love, Unity, Respect)の理念を体現する場として、多くのレイバーに支持された。
Dreamscape(ドリームスケープ)
1990年代を通じて大規模なパーティーを開催し、1993年には1万人規模のイベントを成功させるなど、シーンの発展に大きく貢献した。ハードコア、ジャングル、ドラムンベースのDJたちが活躍し、よりプロフェッショナルなサウンドシステムを導入することで、レイブイベントのクオリティを向上させた。
Helter Skelter(ヘルター・スケルター)
1989年に設立され、ジャングル、ドラムンベース、ハッピーハードコアといったシーンと深く関わるイベントへと成長した。特に1990年代後半には、UKハードコアレイブ文化の象徴的な存在となり、激しいブレイクビーツと高速BPMのダンスミュージックを軸とするスタイルを確立した。
これらのイベントは、違法レイブのエネルギーを合法的な環境へと持ち込むことに成功し、プロフェッショナルなサウンドや照明を導入することで、ダンスミュージックのエンターテイメント性を向上させた。 その結果、レイブカルチャーは新たな形で進化を遂げ、1990年代のイギリス音楽シーンを象徴する一大潮流へと発展していった。
スパースターDJの誕生
1990年代に入り、レイブシーンの進化とともにDJの地位が向上し、スーパースターDJという概念が生まれる。UKにおけるその代表的な存在が、Carl Cox、Sasha、John Digweed の3人である。
Carl Cox(カール・コックス)
1990年代初頭から活動し、3台のターンテーブルを駆使したダイナミックなプレイで世界中のレイバーを魅了。ハードテクノやハードハウスを中心にプレイし、時にマイクパフォーマンスを交えフロアのエネルギーを高めるスタイルで支持を得た。
Sasha(サシャ)
プログレッシブハウスの先駆者として、エモーショナルかつ洗練されたDJプレイを展開した。1990年代後半にはJohn DigweedとのB2Bセットで、トランスやプログレッシブのシーンを牽引。
John Digweed(ジョン・ディグウィード)
深みのあるDJミックスとストーリーテリングのようなセット構成で知られ、1994年に「Renaissance: The Mix Collection」をリリース。クラブミュージックのアートフォームとしての側面を強調し、レイブカルチャーをより洗練されたものへと昇華させた。
地域ごとに発展したシーンと音楽の変容
1990年代にはイギリス国内で地域ごとに異なる音楽シーンが発展し、レイブの多様化が進んだ。
地域ごとに発展したレイブは新たなエレクトロニック・ミュージックの流れを生み出した。
ブリストル – ジャングルとドラムンベースの拠点
ブリストルは、90年代初頭からジャングルとドラムンベースの拠点としての地位を確立した。ジャングルは、レゲエやダブの要素を取り入れた高速ブレイクビーツであり、後にドラムンベースへと進化する。
- Goldie – メタリックなサウンドデザインとオーケストラ的アプローチでジャングルを芸術の域に昇華(代表作「Timeless」)。
- Roni Size – 1997年にReprazent名義で「New Forms」をリリースし、ドラムンベースがメインストリームに進出。
- LTJ Bukem – 「アトモスフェリック・ドラムンベース」の先駆者として、メロディックかつジャジーな要素を取り入れたサウンドを展開。
バーミンガム – ハードテクノとインダストリアルテクノ
バーミンガムは、ハードテクノとインダストリアルテクノの拠点として成長した。ここでは、よりダークでミニマルなテクノが発展し、現在のインダストリアルテクノへとつながる重要なシーンを形成した。
- Surgeon – 精密で無機質なハードミニマルテクノを確立し、バーミンガムテクノのアイコンとなる。
- Regis – 1990年代後半にダークなテクノレーベル「Downwards」を設立し、インダストリアルなサウンドを確立。
シェフィールド – Warp RecordsとIDMの発展
シェフィールドは、Warp Recordsの拠点として、レイブミュージックの枠を超えたIDM(インテリジェント・ダンス・ミュージック)の発展に寄与した。
- Aphex Twin – エレクトロニカとアンビエントテクノを融合し、実験的なサウンドを追求。
- Autechre – ジェネラティブなリズムと抽象的な音響設計を駆使し、IDMの概念を進化。
- LFO – 初期のブリープテクノの代表格として、シェフィールドのシーンを象徴するアーティスト。
1990年代のレイブは、違法パーティーから合法フェスへの移行、スーパースターDJの誕生、地域ごとのジャンル発展を経て、より広範な音楽シーンへと進化した。こうしてレイブ文化は単なるカウンターカルチャーではなく、エレクトロニックミュージックの新たな時代を切り拓いていく。
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