ダンス革命:レイブとロック-MadchesterとThe Haçienda

黄色のスマイリーフェイスが黄色と黒のアブストラクトなストライプデザインの背景に描かれている。

イギリス北部の都市マンチェスターは、1980年代後半から1990年代にかけてレイブムーブメントの中心地 Madchester(マッドチェスター)として音楽史に名を刻んだ。その象徴的存在であるクラブ The Haçienda(ザ・ハシエンダ)は、ポストパンクからアシッドハウスへと進化し、クラブカルチャーとロックが融合する場を提供した。The Haçiendaの影響力と、当時、工業都市だったマンチェスターがいかにしてUKのレイブとクラブカルチャーの一大拠点となったかを探る。


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The HaçiendaとFactory Records

The Haçiendaは、1982年にオープンしたマンチェスターの伝説的ナイトクラブだ。テレビ司会者でありFactory Recordsの創設者でもあるトニー・ウィルソン(Tony Wilson)とNew Orderによって設立され、当初はポストパンクやインディーロックのライブハウスとして機能していた。しかし、1980年代後半になるとアシッドハウスとダンスミュージックの拠点へと変貌を遂げ、イギリスのクラブシーンに革命をもたらす事になる。

ポストパンクからアシッドハウスへ

当初のThe Haçiendaは、Joy Divisionの後身であるNew Orderをはじめとするポストパンクバンドのライブを中心に展開されていた。しかし1986年以降、イギリスにアシッドハウスの波が押し寄せると、その方向性は大きく変化する。シカゴハウスやアシッドハウスを積極的に取り入れ、マンチェスターのクラブカルチャーをUKダンスミュージックの中心へと移行させた。

そして、1988年から1989年にかけて起こった「セカンド・サマー・オブ・ラブ」では、エクスタシー文化とアシッドハウスが完全に融合し、The Haçiendaは全国から若者が集うダンスの聖地となった。


The Haçiendaの象徴的なバンドとDJ達

The HaçiendaとFactory Recordsはダンスミュージックとロックを融合させ。アンダーグラウンドなクラブミュージックをポップフィールドにまで広げる重要な役割を果たした。以下はMadchesterを象徴する重要なバンドとDJ達。

New Order

New Orderは、Madchesterムーブメントの礎を築いたバンドであり、ポストパンクの哀愁とエレクトロニック・ダンスミュージックの高揚感を融合させた先駆者だった。

Joy Division のメンバーだった バーナード・サムナー(Bernard Sumner)(Vo/Gt)、ピーター・フック(Peter Hook)(Ba)、スティーヴン・モリス(Stephen Morris)(Dr)が、フロントマンの イアン・カーティス(Ian Curtis) を失った後、新たな音楽の道を模索する中で生まれたのがNew Orderだった。当初はJoy Divisionの影を引きずりながらも、やがて電子音楽の要素を大胆に取り入れ、革新的なサウンドを生み出す。シンセサイザーやドラムマシンを駆使しながらも、冷たさだけではなく、躍動感のあるグルーヴを生み出した。

1983年に発表された「Blue Monday」は、彼らの方向性を決定づける重要な楽曲となった。無機質なビートと哀愁を帯びたメロディが織りなすこの曲は、クラブシーンにおいても熱狂的に迎えられ、12インチ・シングルとして史上最も売れた曲のひとつとなる。その後も、「Bizarre Love Triangle」や「True Faith」といった名曲を次々と生み出し、ダンスフロアとロックの架け橋となった。

New Order – “Blue Monday” (1983)

彼らが所属していたFactory Recordsは、The Stone RosesHappy Mondaysを世に送り出す重要なレーベルとなり、トニー・ウィルソンと共に立ち上げたThe HaçiendaはMadchesterの文化的中心地となった。ここではアシッド・ハウスが鳴り響き、マンチェスターの若者たちがロックとダンスをシームレスに行き来する新しいシーンを作り出していった。

90年代以降もNew Orderは進化を続け、「Regret」や「Crystal」などの楽曲でオルタナティブ・ロックとエレクトロニカの融合を深化させた。彼らの実験精神は、OasisやBlurといった後のブリットポップ勢にも影響を与え、さらにはダンスミュージックの世界にも大きな影を落とした。

New Orderの音楽は、ただのバンドサウンドを超え、クラブ文化やダンスミュージックの潮流にまで影響を与えた。その革新性があったからこそ、Madchesterムーブメントは単なるローカルな現象ではなく、世界へと広がるムーブメントとなったのだ。

The Stone RosesとHappy Mondays

この2つのバンドは、当時のマンチェスターの熱狂と陶酔を体現し、レイブカルチャーとロックを結びつける革新的な役割を果たした。

The Stone Roses

80年代後半のマンチェスターから生まれた伝説的なバンドであり、サイケデリックロックの幻想的な音像とダンスミュージックのリズムを巧みに融合させた。代表曲の「I Wanna Be Adored」では、静かに忍び寄るようなベースラインと甘美なギターの響きが独特の陶酔感を生み出し、「Fools Gold」では、ファンクのグルーヴを取り入れた長尺のジャムセッションを展開し、クラブカルチャーとの親和性を一気に高めた。彼らの音楽はロックの枠を超え、ダンスフロアでも熱狂的に受け入れられた。

The Stone Roses – “I Wanna Be Adored” (1989)


Happy Mondays

大胆にファンクやハウスのビートを取り入れ、ロックとダンスミュージック、レイブカルチャーの橋渡し役となった。ショーン・ライダーの投げやりなヴォーカルと、狂騒的なサウンドが生み出す独特のノリは、クラブミュージックが席巻する時代の空気と見事にシンクロしていた。「Step On」や「Halleluja」といった楽曲では、ファンキーなリズムと気怠いヴォーカルが絡み合い、マンチェスターの退廃的でありながらエネルギッシュな空気を映し出している。Happy Mondaysの音楽は、単なるロックバンドの枠を超え、ドラッグとダンスにまみれたマッドチェスター・ムーブメントの象徴となった。

Happy Mondays – “Halleluja Club Mix” (1989)

The HaçiendaとMadchesterムーブメントにおいてUKのクラブ文化とロックシーンは融合し、レイブカルチャーは単なるアンダーグラウンドの現象ではなく、ポップカルチャーの一部へと成長していく。マンチェスターはこの時期、UKの音楽シーンにおいて最も影響力のある都市のひとつとなり、1990年代に入りダンスミュージックがより進化し、多様化していく一つのきっかけとなった。

Graeme ParkとMike Pickering

The HaçiendaのレジデントDJとして最も影響力を持ったのがGraeme ParkとMike Pickeringである。彼らはシカゴハウスやアシッドハウスを積極的にプレイし、北部イギリスの若者たちに新たなダンスミュージックの体験を提供した。

グレアム・パーク(Graeme Park)
ハウスミュージックのエネルギーを最大限に引き出すDJとして知られ、特にアップリフティングな選曲が特徴であった。

マイク・ピカリング(Mike Pickering)
Factory RecordsのA&Rとしても活躍し、後にM Peopleを結成。UKダンスミュージックのメインストリーム化に貢献した。

彼らがThe Haçiendaで頻繁にプレイした曲

  • Adonis – “No Way Back” (1986)
  • Frankie Knuckles – “Your Love” (1987)
  • Rhythim is Rhythim (Derrick May) – “Strings of Life” (1987)

これらの楽曲は、マンチェスターのレイブシーンを形作る上で不可欠な存在だった。

808 State

808 Stateは、マンチェスターのアンダーグラウンド・シーンから生まれたエレクトロニック・ミュージックのパイオニアであり、彼らの音楽は1980年代後半から90年代のUKレイブカルチャーを象徴する存在となった。

808 Stateの音楽は、単なるダンスミュージックにとどまらず、アンダーグラウンドとメインストリームの橋渡し的な役割を果たした。代表曲「Pacific State」はUKの音楽チャートにもランクインし、エレクトロニック・ミュージックがより広範なオーディエンスへと広がるきっかけのひとつとなった。

808 State – “Pacific State” (1988)


A Guy Called Gerald

808 State の初期メンバーでもあった A Guy Called Gerald(ジェラルド・シンプソン) は、UKのアシッドハウスとジャングルの発展において極めて重要な存在 だ。彼の代表作 「Voodoo Ray」 は 1988年にリリースされ、UKハウスの先駆的作品 となり、The Haçienda などのクラブで頻繁にプレイされた。UKチャートにもランクインし、アンダーグラウンドなダンスミュージックが広く認知されるきっかけにもなった。

彼の作品は、UKレイブカルチャーがアシッドハウス中心のシーンから後のジャングルやドラムンベースへと進化していく過程においても大きな影響を与えた。90年代に入るとブレイクビーツやヘビーなベースを駆使した独自のジャングル・サウンドを確立し、ドラムンベース黎明期の礎を築いた。彼の音楽は、単なるダンスミュージックを超え、UKエレクトロニック・ミュージックの新たな流れを作り出した。

A Guy Called Gerald – “Voodoo Ray” (1988)


Madchester:ロックとクラブ・レイブカルチャーの融合

80年代後半マンチェスターは音楽とクラブカルチャーの最前線となり、ロックやポストパンクとダンスミュージックをごちゃまぜにしたこのムーブメントは数多くの名曲を世に送り出した。
以下はこの当時マンチェスターを活動拠点にした代表的なバンドだ。

A Certain Ratio
Factory Records初期のバンドで、結成は77年と古く、マンチェスターのダンス・ミュージックの先駆け的存在だった。ポストパンクにファンク、ジャズ、ラテン音楽、ダブ、エレクトロ、ダンスなどの要素を取り入れた。
代表曲:「Shack Up」「Flight」「Do The Du」

The Durutti Column
こちらもFactory Recordsの初期アーティストで、ヴィニ・ライリーによるバンドプロジェクト。アンビエントとポストパンクを融合させた、インストゥルメンタル主体の美しいギターワークが特徴
代表曲:「Sketch for Summer」「Otis」「The Missing Boy」

The Charlatans
ソウル、R&B、ガレージロックからの影響を受け、ハモンドオルガンを活かしたグルーヴィーなサウンドでMadchesterシーンの一角を担ったが、実は結成はバーミンガム。89年より活動拠点をマンチェスターに移してThe Haçiendaにて頻繁にライブを行った。
代表曲:「The Only One I Know」「Sproston Green」

Inspiral Carpets
オルガンを多用したサウンドとサイケデリック・ロックからの影響が特徴。ガレージロック的なサウンドとダンスミュージックを融合させ、Madchesterシーンで重要なバンドのひとつであった。
代表曲:「This Is How It Feels」「Saturn 5」

James
Factory Recordsからデビューしたが、後にメジャーへ。メロディアスなインディーロックとダンスビートを融合させた。「Sit Down」は全英シングルチャートで2位を記録し彼らの代表曲となった。
代表曲:「Sit Down」「Laid」

Northside
91年、アルバム「Chicken Rhythms」をFactory Recordsからリリース。シングル「Take 5」は国際的な成功を収めるが、翌92年の同レーベル倒産により解散。2007年以降に再結成。
代表曲:「Shall We Take a Trip」「Take 5」


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